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パニック障害など、動悸について3つの分類があった ―(2) [パニック障害]

循環器専門医院では初診ということもあって、予約してある患者の後に見てもらうことに。診察まで2時間ある間に、胸部のレントゲン撮影と心電図の検査を行い、その結果についての診察を待っていた。

医師の診察では、心臓肥大もないし心電図にも異常はないという結果である。そのときいままで通っていた病院で何人かの医師に診察を受けていたが、ただ「心臓には異常はないから」で済まされていた。しかし今回のようなこういう話は聴かされたことはなかった。

そのうえ、医師から受けた動悸(心臓の病気)についての説明は、分かりやすく初めて自分なりに納得できるものがあった。

医師の説明は「動悸(心臓の病気)には大きく3つの症状で分けられるという話から始まった。その3つとは、

(1)何ら激しい行動を取っていなくても起きる動悸で、脈がかなり速い。
(2)多くの人が知っている不整脈。脈が飛んだり、速くなったりの症状を起こす動悸。
(3)動悸がしているときに、脈の鼓動を強く感じ、ドキン・ドキンという感覚がある。

(1)と(2)の症状には注意が必要で徹底した検査をするほうがいいが、(3)の症状は、精神的ななことによる要因が多く、心臓そのものに何か欠陥があるということではないという説明だった。

今回、私の症状はこのなかの(3)に該当していたので精神的なものからきているようなのだ。医師は「今回の症状は大きな心配はしないでいい。心電図・レントゲンなどを診ても何ら異常はない」というのがその日の最終診断だった。少しの動悸を、自ら追い込んでしまう「パニック障害」から来るもののようなのだ。

検査、診察を受け帰宅後、自分なりにその原因を探ってみるると。思いつくことが何点か浮かんできた。

まず運動不足から来る体力の低下は計り知れないものなのだ。会社勤めをしているときは、通勤だけでもそうとうな運動になっていた。地下鉄の階段を下り、乗換駅で上る。そこでJRに乗り換えるのも階段の上り下りがある。駅を出ると会社まで10分歩く。仕事は車での営業なので結構ハードだった。仕事を終え帰宅するのも同じコースで階段の上り下りがある。それらが38歳で社会離脱して63歳までプッツリと途切れているわけなのだから、体力が低下しないわけがない。

そうは言え、40代・50代は自分なりに考え、片道1時間ほどかかる道のりを自転車で、坂道など立ち漕ぎなどで往復し、極力体力維持に奮闘していた。しかし毎日働いていた頃の運動量とは比べ物にならないのは明らか。これには納得せざるおう得ないだろう。

そこに追い討ちをかけたのが、玄関のドアが開かないほどの大雪がいきなり降り積もって始まった記録ずくめのこの冬の異常気象が、大きな要因だった気がする。余り動かしていない体での急な雪かきは応えたのだろう。その疲れが残っている寒い朝に、ごみ出しにいこうと思い外で準備していたときに胸苦しさはおきたのだから。

1月末の出来事も、その日は整形外科の予約日だったので、気持ちは余り進まなかったけれど、予約している以上行かなくてはと思い、ジャージからGパンにはき変えているときに始まっている。要するに今回の大騒ぎは、長年の運動不足が要因で起きる動悸にたいし、必要以上の不安を起こし、より鼓動をたかめてしまい、パニックを起こしてしまったという結論になる。

これは言い訳だけれど、ここまで詳しく教えてくれる医師もいなかったのも事実。このように3つに分けて話してくれると納得し、循環器専門医院の帰りなど、今まで悩んでいたのが何だったのかと考えてしまった。すべてにおいて知識不足。パニック障害と動悸に対しての勉強不足から来るものでしかない。自分を責めるしかないのだけれど、いろんな意味で悔しさもある。

その後、掃除機をかけるにしても、畳の6畳部屋×ジュータン敷き6畳(ここが最も辛い)×キッチンの広さなのに、始めると最後まで続けることができず、途中3回は休まないと終えることができなしまつ。まだしばらくは、時間が必要と思う。

春はもうすぐー2.jpg


窓の外に見える、隣家の屋根の雪融け具合からみると、春はもうそこまで来ている。4月になるとまた、自転車出を乗り回すことができる。急がずゆっくり時間をかけて体力回復のペダルを漕ぎ始めようと考えている。

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パニック障害など、動悸について3つの分類があった ―(1) [パニック障害]

いま迄パニック障害に悩まされてきているのは、過去のブログやホームページ「大雪の麓の庵」で書いていた。長い年月悩まされてきたが、症状は完治に近い状態までなってきたな、と自分なりに安堵していた。ところが最近この病気に完治はあるのかと、自分の体の異変に疑心を生む事態がおきた。

昨年の12月初めの頃と、今年1月末日の2回ほど我慢できない激しい動悸に襲われ、やむなく救急車の要請をしたのだ。初回は普通にすぐ近くにあるごみステーションに、指定日に従って分別ごみを出そうと思い、外で用意していた時胸苦しさを感じ部屋に戻ると始まった。

その胸苦しさを楽にしようと思い横になると、急に胃袋から食道にそって上へ波打つような動悸が起こり、慌てて安定剤だけど「動悸を止める作用もあるからね」と、いわれていたソラナックス錠をかじり、動悸が治まるのを待っていた。

これに似た症状が今までなかったわけではなく、何回か経験している。そのときはソラナックス錠をかじり安静にしていると15分から20分もしないあいだに動悸は治まっていた。
ところが今回は1時時間を過ぎても治まるどころか寝返りをうつとなお鼓動は激しくなり、みぞおちの周りで皮膚が波打っている。余りにもいつもの症状と違うし苦しさが続くので救急車を要請し、通院している病院に搬送して貰った。

しかし病院に着き救急処置室で心電図や血圧を測っている間に今まで激しかった動悸は少しずつ治まり始めた。血圧が170以上あったが、脈拍は110~120と落ちついている。医師はカルテを見ながら、先月処方されたばかりの、夜に床につくと出るタンと咳止めの薬が原因と判断し、とくにタンが出るのを止める薬の服用を中止するようにとのことだった。そして動悸を止める薬を頓服として処方され帰宅した。

それからおおよそ二ヶ月が過ぎたが、その間は特に何もなく普通の生活をしていた。ところが1月の末に同じような症状が起きてしまった。
その日は長年の持病である腰痛のために通っている整形外科の予約日である。時間を見ながら外出の用意をと、ジャージからGパンにはき替えていたときである。前回とまったく同じような激しい動悸が襲ってきた。

医師の指示通りタンのでる薬の服用はしていなかった。「ではなぜ」同じ症状が起きるのか。動悸に加えそういう不安感は頂点に。動悸を止める頓服薬とソラナックスを服用しこれを飲めば治まるだろうと横になっていた。しかし今回も1時間過ぎても一向に治まることはなかった。頓服薬は役目をはたさないでいる。苦しさが続いているので再度救急車の要請をすることにした。

しかし病院に着き救急処置室処置を受けていると、次第に動悸は治まり始め、血圧は122と安定、脈拍にいたっては60台と普段でも余り経験のない少ない脈拍数である。自分でも分からなくなってしまい、医師や看護師には、だた「申し訳ありませんと」しかいいようがなかった。それでも今回は疲労が診えるということで、1時間ほどの点滴を受けることになった。

数日後、いつも診察してもらっている担当医師に相談すると「パニックからきていますね」と言い、「この動悸をとめる薬は、軽いものなので一日3回くらいは服用してもかまいませんから」と、初め頓服でもらった薬の増量の処方を受けた。

なぜ急な動悸が起きるのか、何がそうさせるのか、全く心臓には欠陥がないのか、それについて質問しても説明はなかった。特別な検査をするわけでもなく、不安はつのるばかりである。

こうなったら、循環器専門医に診てもらうしかないと考え、近くにある開業したての医院に行ってみることにした。

春はすぐに.jpg

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人生を振り返りながら [パニック障害]

「パニック障害」のことをホームページに書き始めて、悪くないなと思い始めたことがある。自分史をメモがきのように書き綴ってみたことだ。「そう言えば…」と、今まで考えていなかったことを振り返ることができる。

今回書いていて気づいたことは、生活のレベルについてだった。こういう生活だと働けないし、国の世話を受けないと暮らしてはいけない。年金支給が始まったので、かなりの部分をそれでカバーできるだろうと思っていたが、とてもカバーしきれるものではない。

15歳から厚生年金を納付していたので、25年支払い条件はギリギリセーフ。仕事をしている頃はそれなりの給料だったから、年金納付額もそれなりにあった。ただ、いざ年金の支給を受けると生活費の半分を少々上まわる程度。これでは独立はとうてい無理。

そこで「それでもな~」と見方を変えてみることを試みた。定時制高校へ通っている頃は、こんなに生活は楽ではなかった。鮨屋の親方が鮪の短冊を斜めに包丁を入れるように、ホッケのフライ1枚を3等分にし、白いご飯の横に味噌汁と沢庵があれば我が家ではご馳走だった。貧乏の自慢話ではなく、我が家に限らずそういう時代だった。

今はどうかと言えば、1人で生活するにしては広いアパートに住み、たまには発泡酒を飲み、外食もあり。最近では、地デジ用のテレビに買い替え(返済は大変だけど)、この冬も石油ストーブで暖をとっている。生きていくには申し分のない、ありがたい生活状況なのだ。

自分史をメモがきのように書き綴ってみて考えたことは、身近なことに左右され過ぎているのではないかということ。もっと俯瞰して観る“努力”を、ガンバラない程度に実行してみてはどうだろう。意外な発見があって、ほんの少しでも気持ちが楽になるかもしれない。

ホームページ「空っぽ庵」は、11月29日に更新しました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~karappo-ann/index.html

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パニック障害:鬱症と自然と鳥と [パニック障害]

「パニック障害」という病気の裏側には、何らかの形で「鬱」が潜んでいるということは、皆さんだいたい分かっていることだと思います。けれど私自身がこれほど「鬱症」を抱えているとは思っていませんでした。それが最近強く感じるようになりました。


では何故、今頃になって強く感じるようになったのか、今までどうしていたのかと振り返ってみると「若さで乗り切っていた」だけではないかという結論に達しました。いろんな障害物を跳ね除けてきたのには、若いエネルギーが助けになっていたように思います。

その障害物的なものを一つの「ストレス」とします。それを跳ね除けるのは、外へ出て何らかの発散をすることで障害を乗り越えていたようです。無理やりでも同僚などに誘われ、「カラオケスナック」で歌ったりしていました。その店に辿り着くまでは、どうしようもない不安に襲われていましたが、いざ店内に入り椅子に座ってビールの一杯でも口にすると、不思議と落ち着いたものでした。

今のは一つの例ですが、歳をとるとそういった若いころにできたようなことで発散できなくなっています。ましてや、こういう雪国のなかの小都市だと、ほとんどの活動に制約がでてきます。たとえ車を持っていたとしても、行く場所はそうありません。私は車を持っていませんので、行動の全てはバス移動です。そこにも行動の制約が存在してしまいます。「出るに出られない辛さ」みたいなものが、心を痛めるときがあります。

ある日、ふと窓の外を眺めていました。一時期「鳥インフルエンザ」が問題になり、窓の外の「おんこの木」に毎朝うるさいほど鳴いていた「スズメ」が一羽も来なくなりました。当時は、テレビのニュースにさえなっていました。この頃やっと騒がしさが戻り始め、一歳にもならない同居者“にゃんころ”めは、鳴き声に誘われ、勢いよく表に飛び出していきます。

見ているとスズメは、毎朝決まってどこからか飛んで来て「おんこの木」に止まり、虫をあさり、トタン屋根の上でじゃれあいながら、あきもせず踊りまくっています。これぞ自然のまま「あるがまま」の行き方ではないのか。それを見ていると、自分は何故考えることで「塞ぎ込んでしまうのだろう」と、思います。

ということは、人間という生き物は「考えること」で、自然に逆らっていることにもなります。おそらくスズメは、いま生きているだけで、未来も過去も考えない。毎日同じ時間に同じことをしている。人間は、同じ自然界で生きているほかの生物と比較してみると「考え過ぎる」という厄介な物を内存して生れてきてしまっているのでしょうか。

人間は考えるという行動で自らを追い詰めているわけですか。でも、今さら人間が、スズメのように自然に生きるといっても、この社会の中で「何をどうする・・・」。でも「パニック障害」の要因の一つである「鬱症」を、少しでも和らげるのには「考え過ぎてしまうこと」を減らすことでしょうか。それぐらいできるのでは・・・・・・




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