コラム・エッセイクラブ 五条通り街
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/
日ごろ感じたことを、エッセイやコラムで綴っていきたい
sinji
2015-10-26T14:56:10+09:00
ja
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旭川市の初雪は平年より10日も早かったとか
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2015-10-26
みぞれも初雪になるって知らなかった。今月の13日にみぞれが舞い顔に当たって「もうすぐ冬か」と思ってはいたけれど、テレビなどで「旭川に初雪」の報が流れていた。もう少し山に近いところは雪だったんだ。この辺はみぞれしか降っていなかったのにと。みぞれが雪と観測されるとは、いい歳(66歳)して、知らなかったとは情けない。でもみぞれは、みぞれでしょう。ネットで検索すると、多くのページで分けて説明してある。なんだか分からない。雪が雨と混じって降るとみぞれだと?雪は雪でしょ?まあいいっか。でも今日26日の朝に降ったのは間違いなく雪でした。ここのところ寒い日が続いたので今朝が特段寒いとは感じていませんでした。でも早朝なのにやけに明るいなと思って、カーテンを開けると窓の外は雪が積もっていました。すぐには積もらないし昼頃には大方融けていなした。これから網戸を外し、窓を拭いて、暴雪板を窓に張って少しずつ冬の準備が始まります。 *** 明るさに カーテン開けて 雪だより ***旭川は、またなが~い冬です。(写真は、10月26日(月)朝6時に部屋から撮ったほんものの初雪です)
北の街
sinji
2015-10-26T14:56:10+09:00
今月の13日にみぞれが舞い顔に当たって「もうすぐ冬か」と思ってはいたけれど、テレビなどで「旭川に初雪」の報が流れていた。もう少し山に近いところは雪だったんだ。この辺はみぞれしか降っていなかったのにと。
みぞれが雪と観測されるとは、いい歳(66歳)して、知らなかったとは情けない。
でもみぞれは、みぞれでしょう。
ネットで検索すると、多くのページで分けて説明してある。
なんだか分からない。雪が雨と混じって降るとみぞれだと?雪は雪でしょ?
まあいいっか。でも今日26日の朝に降ったのは間違いなく雪でした。ここのところ寒い日が続いたので今朝が特段寒いとは感じていませんでした。
でも早朝なのにやけに明るいなと思って、カーテンを開けると窓の外は雪が積もっていました。
すぐには積もらないし昼頃には大方融けていなした。これから網戸を外し、窓を拭いて、暴雪板を窓に張って少しずつ冬の準備が始まります。
*** 明るさに カーテン開けて 雪だより ***
旭川は、またなが~い冬です。
(写真は、10月26日(月)朝6時に部屋から撮ったほんものの初雪です)
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橋本徹大阪市長の“1回”政治的に死なせてって
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2015-09-03
「爽やか、共感が持てる」と一世を風靡した橋本徹大阪市長。大阪都構想をぶち上げ自ら仕掛けた住民投票。勝ちに行った戦いだったが僅差とはいえ敗北。後に(5月17日)行われた記者会見。すでにご存知だろうが、あえてその内容の一部分を抜粋し列記してみると。(全て橋本市長が記者から質問を受けた後に答えた内容です)―――* 市長任期(2015年12月18日)まではやりますけど、その後は政治家はやりません。* 弁護士はやります―――。* ―――自分なりに悔いのない政治家としてのこれまでの7年半。思う存分やらせてもらった。今日もこういう舞台で住民投票の結果で政治家を辞めると言わせてもらうなんて、本当に納税者のみなさんに申し訳ないけど大変幸せな7年半だった。* また2万%って言わせたいのですか。(過去大阪府知事選への立候補を2万%ないと発言していた)―――嘘をつく必要もない。政治家は僕の人生から終了です。* (12月18日大阪市長満期終了時点での方向転換?)ないですよ。―――僕みたいな政治家はワンポイントリリーフ。僕みたいな政治化が長くやる世の中は危険。―――その日から約3ヶ月が過ぎた。ところが、日刊スポーツ(2015年8月30日・日曜)の社会面を読んでいると、おやおやと思わせる記事が載っていた。『橋本市長街頭演説・新党「最後の仕事」』と題し、橋本市長が街頭演説で発言した内容が記載されている。その記事を引用すると―――街頭では聴衆から「徹ちゃん、やめないで~」コールもあったが「いや~ありがたい。でも1回、政治的に死なせて」とあらためて政界引退を明言した。―――と、あるが、さてこの“1回”ってどういう意味なのだろうか。最近テレビのバラェティー番組のなかで、タレントの綾小路きみまろさんが話していたのを聞いて笑ってしまった。たしか素人さんとのやり取りのなかの話。(覚がきです)「人は死ぬとどうなるんでしょうね。天国ってどんな所なんでしょう…」「そりゃ良い所に決まっているだろう。帰ってきたやつはいないんだから」きみまろさんはメモしますと言っていた。昨今の報道では「維新分裂・離党」の文字が飛び交っている。橋本市長は舌鋒滑らかだが、私が政治に強く興味を持って40年以上すぎた今、どう振り返って見ても、こういう分裂で大きく成長した政党を見たことが無い。ほとんどが尻つぼみで終わっている。もう彼の涙にも色がついてしまっている。誰もそれを拭こうとはしないし、..
コラム
sinji
2015-09-03T16:46:26+09:00
「爽やか、共感が持てる」と一世を風靡した橋本徹大阪市長。大阪都構想をぶち上げ自ら仕掛けた住民投票。勝ちに行った戦いだったが僅差とはいえ敗北。後に(5月17日)行われた記者会見。すでにご存知だろうが、あえてその内容の一部分を抜粋し列記してみると。
(全て橋本市長が記者から質問を受けた後に答えた内容です)
―――
* 市長任期(2015年12月18日)まではやりますけど、その後は政治家はやりません。
* 弁護士はやります―――。
* ―――自分なりに悔いのない政治家としてのこれまでの7年半。思う存分やらせてもらった。今日もこういう舞台で住民投票の結果で政治家を辞めると言わせてもらうなんて、本当に納税者のみなさんに申し訳ないけど大変幸せな7年半だった。
* また2万%って言わせたいのですか。(過去大阪府知事選への立候補を2万%ないと発言していた)―――嘘をつく必要もない。政治家は僕の人生から終了です。
* (12月18日大阪市長満期終了時点での方向転換?)ないですよ。―――僕みたいな政治家はワンポイントリリーフ。僕みたいな政治化が長くやる世の中は危険。
―――
その日から約3ヶ月が過ぎた。ところが、日刊スポーツ(2015年8月30日・日曜)の社会面を読んでいると、おやおやと思わせる記事が載っていた。『橋本市長街頭演説・新党「最後の仕事」』と題し、橋本市長が街頭演説で発言した内容が記載されている。
その記事を引用すると
―――
街頭では聴衆から「徹ちゃん、やめないで~」コールもあったが「いや~ありがたい。でも1回、政治的に死なせて」とあらためて政界引退を明言した。
―――
と、あるが、さてこの“1回”ってどういう意味なのだろうか。
最近テレビのバラェティー番組のなかで、タレントの綾小路きみまろさんが話していたのを聞いて笑ってしまった。たしか素人さんとのやり取りのなかの話。(覚がきです)
「人は死ぬとどうなるんでしょうね。天国ってどんな所なんでしょう…」
「そりゃ良い所に決まっているだろう。帰ってきたやつはいないんだから」
きみまろさんはメモしますと言っていた。
昨今の報道では「維新分裂・離党」の文字が飛び交っている。橋本市長は舌鋒滑らかだが、私が政治に強く興味を持って40年以上すぎた今、どう振り返って見ても、こういう分裂で大きく成長した政党を見たことが無い。ほとんどが尻つぼみで終わっている。
もう彼の涙にも色がついてしまっている。誰もそれを拭こうとはしないし、もらい泣きもしないしのでは。
「徹ちゃん、やめないで~」「でも1回、政治的に死なせて」
こちらの方は笑えないし面白いろくもない。“1回”死んだら戻ってこられないのは、綾小路きみまろさんの話だけか。やはり橋本徹というご人は、私などとは相容れないのか。政界でも一時「ゾンビ」なる言葉が流行ったが、そちらの世界のご人なのだろう。
ご本人が記者会見で発言した「僕みたいな政治化が長くやる世の中は危険…」。ごもっとも。
橋本徹大阪市長におかれまして、任期終了後に迎える「お正月」は、是非ご家族とゆっくりなさっては。
参照:日刊スポーツ2015年8月30日号社会面
:水島宏明・法政大学教授ブログ
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おばあちゃんに教えてもらった「和顔施」のこころ
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2013-03-20
久ぶりに心を揺すぶられ、涙が流れてしまう番組を観させてもらった。テレビ朝日で3月19日(火曜日)の夜8時から放送されていた「たけしの健康エンターテイメント・みんなの家庭の医学」である。 三つのテーマの最後にあった、茨城県に住む78歳になるおばあちゃんの出来事を追っていた。おばあちゃんの口の中に発症した口内炎が、そのうち治ると放置しておいたら、いつの間にか癌化してしまい、顔の半分を取り除かないと余命一年と医師からの宣告を受けてしまった。 そこには、おばあちゃんのことを思う家族の葛藤があった。こういう状況を考えると、どこの家族でもありえる葛藤である。心を揺すぶられたのは、お嫁さんのおばあちゃんへの気持ちと、おばあちゃんの優しさ、心配する周りへの心づかいにある。 お嫁さんの話では、おばあちゃんは働き者で、嫁いだときから台所仕事なども丁寧に教えてくれるいつも優しいお姑さんだったそうだ。だからこそ医師から「おばあちゃんは癌です」という、むごい宣告を受けたときに、お嫁さんが苦悶している様子は、自分にも実母のことで似た体験があるので察するものがある。 そんなおばあちゃん。本人が医師から直接、癌の宣告を受けたときはショックを隠せなかったものの、その後は周りの家族に気を使い、心配させたくない思いから笑い顔さえ浮かべる。この強いおばあちゃんをみて、これこそ究極の「和顔施」ではないかと思った。 宗教でいう「布施」のなかにある「和顔施」は、「無財の七施」のなかのその一つなのは皆さんよくご承知だろう。瀬戸内寂聴さんが好きで、著書を何冊か読んでいるけれど、いたるところにこの「和顔施」の大切さを説いてある。 誰にたいしても優しい顔で相手に接する。 しかし、これがなかなかできない。何人かの人に対し笑顔で接することはできても「誰にたいしても」というのが難しい。まして自分の体に重い病が生じ、苦しいときに本当にどんな相手にも笑顔で接することができるだろうか。 おばあちゃんは、最新の医療(世界で日本しかない治療)で顔にできた癌をやっつけつつある。CTの写真でもはっきりと癌は5分の1に小さくなり回復にむかっていた。今後も治療を続けることのようで、一日も早い完治を祈りたい。 それにしてもこの「和顔施」は、今の日本人が忘れてしまった“こころ”の一部分なのだろうか。笑顔で語りかける大切さを、もう一度勉強してみようと思う。参考..
コラム
sinji
2013-03-20T14:37:43+09:00
テレビ朝日で3月19日(火曜日)の夜8時から放送されていた「たけしの健康エンターテイメント・みんなの家庭の医学」である。
三つのテーマの最後にあった、茨城県に住む78歳になるおばあちゃんの出来事を追っていた。おばあちゃんの口の中に発症した口内炎が、そのうち治ると放置しておいたら、いつの間にか癌化してしまい、顔の半分を取り除かないと余命一年と医師からの宣告を受けてしまった。
そこには、おばあちゃんのことを思う家族の葛藤があった。こういう状況を考えると、どこの家族でもありえる葛藤である。心を揺すぶられたのは、お嫁さんのおばあちゃんへの気持ちと、おばあちゃんの優しさ、心配する周りへの心づかいにある。
お嫁さんの話では、おばあちゃんは働き者で、嫁いだときから台所仕事なども丁寧に教えてくれるいつも優しいお姑さんだったそうだ。だからこそ医師から「おばあちゃんは癌です」という、むごい宣告を受けたときに、お嫁さんが苦悶している様子は、自分にも実母のことで似た体験があるので察するものがある。
そんなおばあちゃん。本人が医師から直接、癌の宣告を受けたときはショックを隠せなかったものの、その後は周りの家族に気を使い、心配させたくない思いから笑い顔さえ浮かべる。この強いおばあちゃんをみて、これこそ究極の「和顔施」ではないかと思った。
宗教でいう「布施」のなかにある「和顔施」は、「無財の七施」のなかのその一つなのは皆さんよくご承知だろう。瀬戸内寂聴さんが好きで、著書を何冊か読んでいるけれど、いたるところにこの「和顔施」の大切さを説いてある。
誰にたいしても優しい顔で相手に接する。
しかし、これがなかなかできない。何人かの人に対し笑顔で接することはできても「誰にたいしても」というのが難しい。まして自分の体に重い病が生じ、苦しいときに本当にどんな相手にも笑顔で接することができるだろうか。
おばあちゃんは、最新の医療(世界で日本しかない治療)で顔にできた癌をやっつけつつある。CTの写真でもはっきりと癌は5分の1に小さくなり回復にむかっていた。今後も治療を続けることのようで、一日も早い完治を祈りたい。
それにしてもこの「和顔施」は、今の日本人が忘れてしまった“こころ”の一部分なのだろうか。笑顔で語りかける大切さを、もう一度勉強してみようと思う。
参考:http://asahi.co.jp/hospital/onair/130319.html
(たけしの健康エンターテイメント・みんなの家庭の医学)
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パニック障害など、動悸について3つの分類があった ―(2)
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2013-03-14
循環器専門医院では初診ということもあって、予約してある患者の後に見てもらうことに。診察まで2時間ある間に、胸部のレントゲン撮影と心電図の検査を行い、その結果についての診察を待っていた。医師の診察では、心臓肥大もないし心電図にも異常はないという結果である。そのときいままで通っていた病院で何人かの医師に診察を受けていたが、ただ「心臓には異常はないから」で済まされていた。しかし今回のようなこういう話は聴かされたことはなかった。そのうえ、医師から受けた動悸(心臓の病気)についての説明は、分かりやすく初めて自分なりに納得できるものがあった。医師の説明は「動悸(心臓の病気)には大きく3つの症状で分けられるという話から始まった。その3つとは、(1)何ら激しい行動を取っていなくても起きる動悸で、脈がかなり速い。(2)多くの人が知っている不整脈。脈が飛んだり、速くなったりの症状を起こす動悸。(3)動悸がしているときに、脈の鼓動を強く感じ、ドキン・ドキンという感覚がある。(1)と(2)の症状には注意が必要で徹底した検査をするほうがいいが、(3)の症状は、精神的ななことによる要因が多く、心臓そのものに何か欠陥があるということではないという説明だった。今回、私の症状はこのなかの(3)に該当していたので精神的なものからきているようなのだ。医師は「今回の症状は大きな心配はしないでいい。心電図・レントゲンなどを診ても何ら異常はない」というのがその日の最終診断だった。少しの動悸を、自ら追い込んでしまう「パニック障害」から来るもののようなのだ。検査、診察を受け帰宅後、自分なりにその原因を探ってみるると。思いつくことが何点か浮かんできた。まず運動不足から来る体力の低下は計り知れないものなのだ。会社勤めをしているときは、通勤だけでもそうとうな運動になっていた。地下鉄の階段を下り、乗換駅で上る。そこでJRに乗り換えるのも階段の上り下りがある。駅を出ると会社まで10分歩く。仕事は車での営業なので結構ハードだった。仕事を終え帰宅するのも同じコースで階段の上り下りがある。それらが38歳で社会離脱して63歳までプッツリと途切れているわけなのだから、体力が低下しないわけがない。そうは言え、40代・50代は自分なりに考え、片道1時間ほどかかる道のりを自転車で、坂道など立ち漕ぎなどで往復し、極力体力維持に奮闘していた。しかし毎日働いていた頃の運動量とは比べ物にならな..
パニック障害
sinji
2013-03-14T14:08:12+09:00
医師の診察では、心臓肥大もないし心電図にも異常はないという結果である。そのときいままで通っていた病院で何人かの医師に診察を受けていたが、ただ「心臓には異常はないから」で済まされていた。しかし今回のようなこういう話は聴かされたことはなかった。
そのうえ、医師から受けた動悸(心臓の病気)についての説明は、分かりやすく初めて自分なりに納得できるものがあった。
医師の説明は「動悸(心臓の病気)には大きく3つの症状で分けられるという話から始まった。その3つとは、
(1)何ら激しい行動を取っていなくても起きる動悸で、脈がかなり速い。
(2)多くの人が知っている不整脈。脈が飛んだり、速くなったりの症状を起こす動悸。
(3)動悸がしているときに、脈の鼓動を強く感じ、ドキン・ドキンという感覚がある。
(1)と(2)の症状には注意が必要で徹底した検査をするほうがいいが、(3)の症状は、精神的ななことによる要因が多く、心臓そのものに何か欠陥があるということではないという説明だった。
今回、私の症状はこのなかの(3)に該当していたので精神的なものからきているようなのだ。医師は「今回の症状は大きな心配はしないでいい。心電図・レントゲンなどを診ても何ら異常はない」というのがその日の最終診断だった。少しの動悸を、自ら追い込んでしまう「パニック障害」から来るもののようなのだ。
検査、診察を受け帰宅後、自分なりにその原因を探ってみるると。思いつくことが何点か浮かんできた。
まず運動不足から来る体力の低下は計り知れないものなのだ。会社勤めをしているときは、通勤だけでもそうとうな運動になっていた。地下鉄の階段を下り、乗換駅で上る。そこでJRに乗り換えるのも階段の上り下りがある。駅を出ると会社まで10分歩く。仕事は車での営業なので結構ハードだった。仕事を終え帰宅するのも同じコースで階段の上り下りがある。それらが38歳で社会離脱して63歳までプッツリと途切れているわけなのだから、体力が低下しないわけがない。
そうは言え、40代・50代は自分なりに考え、片道1時間ほどかかる道のりを自転車で、坂道など立ち漕ぎなどで往復し、極力体力維持に奮闘していた。しかし毎日働いていた頃の運動量とは比べ物にならないのは明らか。これには納得せざるおう得ないだろう。
そこに追い討ちをかけたのが、玄関のドアが開かないほどの大雪がいきなり降り積もって始まった記録ずくめのこの冬の異常気象が、大きな要因だった気がする。余り動かしていない体での急な雪かきは応えたのだろう。その疲れが残っている寒い朝に、ごみ出しにいこうと思い外で準備していたときに胸苦しさはおきたのだから。
1月末の出来事も、その日は整形外科の予約日だったので、気持ちは余り進まなかったけれど、予約している以上行かなくてはと思い、ジャージからGパンにはき変えているときに始まっている。要するに今回の大騒ぎは、長年の運動不足が要因で起きる動悸にたいし、必要以上の不安を起こし、より鼓動をたかめてしまい、パニックを起こしてしまったという結論になる。
これは言い訳だけれど、ここまで詳しく教えてくれる医師もいなかったのも事実。このように3つに分けて話してくれると納得し、循環器専門医院の帰りなど、今まで悩んでいたのが何だったのかと考えてしまった。すべてにおいて知識不足。パニック障害と動悸に対しての勉強不足から来るものでしかない。自分を責めるしかないのだけれど、いろんな意味で悔しさもある。
その後、掃除機をかけるにしても、畳の6畳部屋×ジュータン敷き6畳(ここが最も辛い)×キッチンの広さなのに、始めると最後まで続けることができず、途中3回は休まないと終えることができなしまつ。まだしばらくは、時間が必要と思う。
窓の外に見える、隣家の屋根の雪融け具合からみると、春はもうそこまで来ている。4月になるとまた、自転車出を乗り回すことができる。急がずゆっくり時間をかけて体力回復のペダルを漕ぎ始めようと考えている。
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パニック障害など、動悸について3つの分類があった ―(1)
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2013-03-13
いま迄パニック障害に悩まされてきているのは、過去のブログやホームページ「大雪の麓の庵」で書いていた。長い年月悩まされてきたが、症状は完治に近い状態までなってきたな、と自分なりに安堵していた。ところが最近この病気に完治はあるのかと、自分の体の異変に疑心を生む事態がおきた。昨年の12月初めの頃と、今年1月末日の2回ほど我慢できない激しい動悸に襲われ、やむなく救急車の要請をしたのだ。初回は普通にすぐ近くにあるごみステーションに、指定日に従って分別ごみを出そうと思い、外で用意していた時胸苦しさを感じ部屋に戻ると始まった。その胸苦しさを楽にしようと思い横になると、急に胃袋から食道にそって上へ波打つような動悸が起こり、慌てて安定剤だけど「動悸を止める作用もあるからね」と、いわれていたソラナックス錠をかじり、動悸が治まるのを待っていた。これに似た症状が今までなかったわけではなく、何回か経験している。そのときはソラナックス錠をかじり安静にしていると15分から20分もしないあいだに動悸は治まっていた。ところが今回は1時時間を過ぎても治まるどころか寝返りをうつとなお鼓動は激しくなり、みぞおちの周りで皮膚が波打っている。余りにもいつもの症状と違うし苦しさが続くので救急車を要請し、通院している病院に搬送して貰った。しかし病院に着き救急処置室で心電図や血圧を測っている間に今まで激しかった動悸は少しずつ治まり始めた。血圧が170以上あったが、脈拍は110~120と落ちついている。医師はカルテを見ながら、先月処方されたばかりの、夜に床につくと出るタンと咳止めの薬が原因と判断し、とくにタンが出るのを止める薬の服用を中止するようにとのことだった。そして動悸を止める薬を頓服として処方され帰宅した。それからおおよそ二ヶ月が過ぎたが、その間は特に何もなく普通の生活をしていた。ところが1月の末に同じような症状が起きてしまった。その日は長年の持病である腰痛のために通っている整形外科の予約日である。時間を見ながら外出の用意をと、ジャージからGパンにはき替えていたときである。前回とまったく同じような激しい動悸が襲ってきた。医師の指示通りタンのでる薬の服用はしていなかった。「ではなぜ」同じ症状が起きるのか。動悸に加えそういう不安感は頂点に。動悸を止める頓服薬とソラナックスを服用しこれを飲めば治まるだろうと横になっていた。しかし今回も1時間過ぎても一向に治まること..
パニック障害
sinji
2013-03-13T16:52:18+09:00
昨年の12月初めの頃と、今年1月末日の2回ほど我慢できない激しい動悸に襲われ、やむなく救急車の要請をしたのだ。初回は普通にすぐ近くにあるごみステーションに、指定日に従って分別ごみを出そうと思い、外で用意していた時胸苦しさを感じ部屋に戻ると始まった。
その胸苦しさを楽にしようと思い横になると、急に胃袋から食道にそって上へ波打つような動悸が起こり、慌てて安定剤だけど「動悸を止める作用もあるからね」と、いわれていたソラナックス錠をかじり、動悸が治まるのを待っていた。
これに似た症状が今までなかったわけではなく、何回か経験している。そのときはソラナックス錠をかじり安静にしていると15分から20分もしないあいだに動悸は治まっていた。
ところが今回は1時時間を過ぎても治まるどころか寝返りをうつとなお鼓動は激しくなり、みぞおちの周りで皮膚が波打っている。余りにもいつもの症状と違うし苦しさが続くので救急車を要請し、通院している病院に搬送して貰った。
しかし病院に着き救急処置室で心電図や血圧を測っている間に今まで激しかった動悸は少しずつ治まり始めた。血圧が170以上あったが、脈拍は110~120と落ちついている。医師はカルテを見ながら、先月処方されたばかりの、夜に床につくと出るタンと咳止めの薬が原因と判断し、とくにタンが出るのを止める薬の服用を中止するようにとのことだった。そして動悸を止める薬を頓服として処方され帰宅した。
それからおおよそ二ヶ月が過ぎたが、その間は特に何もなく普通の生活をしていた。ところが1月の末に同じような症状が起きてしまった。
その日は長年の持病である腰痛のために通っている整形外科の予約日である。時間を見ながら外出の用意をと、ジャージからGパンにはき替えていたときである。前回とまったく同じような激しい動悸が襲ってきた。
医師の指示通りタンのでる薬の服用はしていなかった。「ではなぜ」同じ症状が起きるのか。動悸に加えそういう不安感は頂点に。動悸を止める頓服薬とソラナックスを服用しこれを飲めば治まるだろうと横になっていた。しかし今回も1時間過ぎても一向に治まることはなかった。頓服薬は役目をはたさないでいる。苦しさが続いているので再度救急車の要請をすることにした。
しかし病院に着き救急処置室処置を受けていると、次第に動悸は治まり始め、血圧は122と安定、脈拍にいたっては60台と普段でも余り経験のない少ない脈拍数である。自分でも分からなくなってしまい、医師や看護師には、だた「申し訳ありませんと」しかいいようがなかった。それでも今回は疲労が診えるということで、1時間ほどの点滴を受けることになった。
数日後、いつも診察してもらっている担当医師に相談すると「パニックからきていますね」と言い、「この動悸をとめる薬は、軽いものなので一日3回くらいは服用してもかまいませんから」と、初め頓服でもらった薬の増量の処方を受けた。
なぜ急な動悸が起きるのか、何がそうさせるのか、全く心臓には欠陥がないのか、それについて質問しても説明はなかった。特別な検査をするわけでもなく、不安はつのるばかりである。
こうなったら、循環器専門医に診てもらうしかないと考え、近くにある開業したての医院に行ってみることにした。
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親切だった「NEC121相談窓口スタッフ」のみなさん
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2013-02-16
パソコンの電源を入れると、どこを開いてもモニターの左端に白い枠が出てきて消えないでいた。そこには「マイコンピューター」をクリックすると出てくる、「3,5FD(A)」や「ローかディスク(C)」などが表示される。これには困ってしまい、何が原因なのか考えていた。そこでGoogleを開き色いろ検索してみたが、歳を感じさせられただけだった。そこに書いてあることすら解釈できないのだ。普段ブログを楽しんだり、Excelでちょっとだけ家計簿もどきで済ましている者にとって、パソコンのハードといわれている内部のことはさっぱり分からない。しょうがない、こうなったらプロに相談するしかない。そこでいつも頼りにしている「NEC121相談窓口」に電話してみることにした。相談初日は私の説明がうまくいかなく、なかなか理解して貰えなかったが、よく調べて電話していただくことになった。どうもスタッフの中にも専門分野があるようなのである。約束通り翌朝早くから電話があり、親切に指導していただいた。これがすごいと思う。最後まで対応してくれるのだから。かなり前のことになるけれど、あるパソコンの周辺機器のメーカーに故障の件で電話したことがあるが、その時は「けんもほろろ」そのものだった。まるでロボットのお嬢様と話をしているみたいだったので、今回の対応は驚きでもある。指導していただいた順番はかんたんそのもの。○ 左端に出てしまう白い枠の空白部分にカーソルを当て、右クリック。○ そのなかのに「マイコンピューター」と書いてある同じ項目が2段になって、それぞれチエックが入っていた。○ それを一つずつクリックすると2段とも消え白い枠はすっきりと消えた。修理はかんたんだったので、なお更恥ずかしくなってしまった。私自身が、しないでいいことを、どこかで何かをしてしまったようなのだ。パソコンに詳しい人は、そんなこと、と思うかもしれないが、私はこのことで1ヶ月以上悩んでいた。もっと早く電話すればと考えたが、でもしていたのだ。なかなか繋がらないので半分諦めかけていた。私が今回電話した事柄のように、似たようなことで電話している人が多いかもしれない。それで繋がりにくいのだろうと勝手に解釈することにした。お仲間がいると思えば少しは気が楽か。歳を受け入れましょ。「NEC121相談窓口」の皆さんには感謝です。これを機会にまた少しずつブログをすすめようと思う。
コラム
sinji
2013-02-16T20:32:12+09:00
そこでGoogleを開き色いろ検索してみたが、歳を感じさせられただけだった。そこに書いてあることすら解釈できないのだ。普段ブログを楽しんだり、Excelでちょっとだけ家計簿もどきで済ましている者にとって、パソコンのハードといわれている内部のことはさっぱり分からない。
しょうがない、こうなったらプロに相談するしかない。そこでいつも頼りにしている「NEC121相談窓口」に電話してみることにした。
相談初日は私の説明がうまくいかなく、なかなか理解して貰えなかったが、よく調べて電話していただくことになった。どうもスタッフの中にも専門分野があるようなのである。約束通り翌朝早くから電話があり、親切に指導していただいた。これがすごいと思う。最後まで対応してくれるのだから。
かなり前のことになるけれど、あるパソコンの周辺機器のメーカーに故障の件で電話したことがあるが、その時は「けんもほろろ」そのものだった。まるでロボットのお嬢様と話をしているみたいだったので、今回の対応は驚きでもある。
指導していただいた順番はかんたんそのもの。
○ 左端に出てしまう白い枠の空白部分にカーソルを当て、右クリック。
○ そのなかのに「マイコンピューター」と書いてある同じ項目が2段になって、それぞれチエックが入っていた。
○ それを一つずつクリックすると2段とも消え白い枠はすっきりと消えた。
修理はかんたんだったので、なお更恥ずかしくなってしまった。私自身が、しないでいいことを、どこかで何かをしてしまったようなのだ。パソコンに詳しい人は、そんなこと、と思うかもしれないが、私はこのことで1ヶ月以上悩んでいた。
もっと早く電話すればと考えたが、でもしていたのだ。なかなか繋がらないので半分諦めかけていた。私が今回電話した事柄のように、似たようなことで電話している人が多いかもしれない。それで繋がりにくいのだろうと勝手に解釈することにした。お仲間がいると思えば少しは気が楽か。
歳を受け入れましょ。「NEC121相談窓口」の皆さんには感謝です。
これを機会にまた少しずつブログをすすめようと思う。
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北の国:旭川は今年も紅葉がきれいに色づいたけれど
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2012-11-07
遅い冬に一喜一憂している旭川市内。「雪ー来ないねー」が朝の挨拶になってしまっている。もう異常気象という言葉は使い古されてしまい、ご近所の会話は今の日常生活そのまんま。それは今年の夏の暑さが裏付けていたのかも。9月の半ば(9月18日)過ぎてまで30度を超すなど考えてもいなかった。ただただ暑さが過ぎ去るのを待っていただけ。それでもこの2~3年同じようなことが続いているので、少しずつ慣れてきたのだろうか。そういう自分自身、人一倍(病的に) 暑さに弱いので集中力“0”の情況が続き、やっとここにきてパソコンのキーボードにしっかり向き合えるようになってきた。暑いときには「もうどうでもいいや」と思い、パソコンを立ち上げても無味乾燥のていたらく。So‐netなどのブログに何か書きたいと思いスイッチを入れても疲労感・脱力感には勝てないでいた。でも季節は移ろいます。いつも書いていた近くの公園には“秋”がやってきました。旭川市内の平野部にも紅葉前線が下りてきたようです。落ち葉が積もり「かえで」はすっかり紅葉色に。でもこれらの風景も今月半ばまでかもしれない。そう思いデジカメに撮っておいた。そう、これを書いている今日、枝を覆っていた葉がすでにほとんど枯れ落ち、被写体になった樹木は変わり冬が近いのを知らせてくれているようです。近くのホームセンターでは、暖房器具・窓を覆うビニールや隙間風を防ぐビニールテープ、窓ガラスを落雪や落氷などから守るボードなど、様ざまなグッズが店頭に並んでいます。旭川は、これから厳しい冬の季節を迎えようとしています。
北の街
sinji
2012-11-07T19:56:50+09:00
遅い冬に一喜一憂している旭川市内。「雪ー来ないねー」が朝の挨拶になってしまっている。もう異常気象という言葉は使い古されてしまい、ご近所の会話は今の日常生活そのまんま。
それは今年の夏の暑さが裏付けていたのかも。9月の半ば(9月18日)過ぎてまで30度を超すなど考えてもいなかった。ただただ暑さが過ぎ去るのを待っていただけ。それでもこの2~3年同じようなことが続いているので、少しずつ慣れてきたのだろうか。
そういう自分自身、人一倍(病的に) 暑さに弱いので集中力“0”の情況が続き、やっとここにきてパソコンのキーボードにしっかり向き合えるようになってきた。暑いときには「もうどうでもいいや」と思い、パソコンを立ち上げても無味乾燥のていたらく。So‐netなどのブログに何か書きたいと思いスイッチを入れても疲労感・脱力感には勝てないでいた。
でも季節は移ろいます。いつも書いていた近くの公園には“秋”がやってきました。旭川市内の平野部にも紅葉前線が下りてきたようです。落ち葉が積もり「かえで」はすっかり紅葉色に。でもこれらの風景も今月半ばまでかもしれない。そう思いデジカメに撮っておいた。そう、これを書いている今日、枝を覆っていた葉がすでにほとんど枯れ落ち、被写体になった樹木は変わり冬が近いのを知らせてくれているようです。
近くのホームセンターでは、暖房器具・窓を覆うビニールや隙間風を防ぐビニールテープ、窓ガラスを落雪や落氷などから守るボードなど、様ざまなグッズが店頭に並んでいます。
旭川は、これから厳しい冬の季節を迎えようとしています。
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落日の向こう側
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2012-07-04
いつも夕方になると西のほうに目が行く。北海道、とくに旭川に戻ってつくづく思うのは空気に淀みが少ないことだ。晴れた日の夕日の綺麗な様は、東京に住んでいた頃には目にしていないような気がする。気がするというのは、地上から車道の延長線上に夕日を見ようとしても、聳え立つビルに遮られてしまい、しっかり見た覚えがないからだ。その上、都会の夕日は、綺麗だなと思わせるよりも暑さが勝ってしまうから、その気も起きないのだろう。この何年か夏至の(6月21日)前後、なぜか旭川は曇りがちだった。今年もそうでこの写真もやっと24日のなって撮ることができた。天気予報で晴れのマークが出ていても、西の空は曇りがちが多かった。それにしてもこの日の夕日の力は強く、心の底まで焼き尽くさんばかりに燃えている。でも夕日にその力があるのなら、燃え尽くしてほしいものがある。東京永田町を自分の利益のために奔走する政治屋と、我々の声を聴こうとせずに霞ヶ関界隈を「自分をいかに高く売ろうか」としか考えずに歩き回る官僚の、癌化し腐った欲だけの根性の塊だ。その都会を挟んで向こうでは、大雨で甚大な被害とニュースでは伝えている。手前の東北地方ではいまだに復旧が叶わず落ちついた日々を送れないでいる。政治屋と官僚たちは、地元選挙区と大飯原発所にしか目が向いていない。夕日に願いを懸けるしかないのが虚しい。
コラム
sinji
2012-07-04T17:59:55+09:00
いつも夕方になると西のほうに目が行く。北海道、とくに旭川に戻ってつくづく思うのは空気に淀みが少ないことだ。晴れた日の夕日の綺麗な様は、東京に住んでいた頃には目にしていないような気がする。
気がするというのは、地上から車道の延長線上に夕日を見ようとしても、聳え立つビルに遮られてしまい、しっかり見た覚えがないからだ。その上、都会の夕日は、綺麗だなと思わせるよりも暑さが勝ってしまうから、その気も起きないのだろう。
この何年か夏至の(6月21日)前後、なぜか旭川は曇りがちだった。今年もそうでこの写真もやっと24日のなって撮ることができた。天気予報で晴れのマークが出ていても、西の空は曇りがちが多かった。それにしてもこの日の夕日の力は強く、心の底まで焼き尽くさんばかりに燃えている。
でも夕日にその力があるのなら、燃え尽くしてほしいものがある。東京永田町を自分の利益のために奔走する政治屋と、我々の声を聴こうとせずに霞ヶ関界隈を「自分をいかに高く売ろうか」としか考えずに歩き回る官僚の、癌化し腐った欲だけの根性の塊だ。
その都会を挟んで向こうでは、大雨で甚大な被害とニュースでは伝えている。手前の東北地方ではいまだに復旧が叶わず落ちついた日々を送れないでいる。政治屋と官僚たちは、地元選挙区と大飯原発所にしか目が向いていない。夕日に願いを懸けるしかないのが虚しい。
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旭川の夏を告げる第80回を迎えた北海道音楽大行進
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2012-06-14
毎年開催される北海道音楽大行進は80回を迎えた。節目となる今年は、石川県の小松工業高校吹奏楽部や、道内各地からも含め計109団体約4000人の参加があった。行進コースとなる永隆橋通りには、早くから多くの人が陣取っていた。天気予報では、午後から曇りのち雨の予想だったので心配したが、全チーム終わるまで好天に恵まれ、かえって日差しが強く木陰を探しながらの観賞だった。時代を反映して中学や高校のチームからは「AKB48 ♫ヘビーローテンション」などの楽曲も聴かれ、踵でリズムをとりながら楽しむことができた。今年は時間の関係で夕方からのアフターコンサートに行けなかったので来年は是非夕方を中心に動き回ろうと、今から楽しみにしている。全ての写真をご覧になりたい方は下のurlで検索してください。旭川地区吹奏楽連盟:http://www.hat.hi-ho.ne.jp/asa-suiren/写真:http://www.ric.hi-ho.ne.jp/asahikawa-suiren/photo12/parade/opening.htm
北の街
sinji
2012-06-14T15:44:27+09:00
毎年開催される北海道音楽大行進は80回を迎えた。節目となる今年は、石川県の小松工業高校吹奏楽部や、道内各地からも含め計109団体約4000人の参加があった。行進コースとなる永隆橋通りには、早くから多くの人が陣取っていた。
天気予報では、午後から曇りのち雨の予想だったので心配したが、全チーム終わるまで好天に恵まれ、かえって日差しが強く木陰を探しながらの観賞だった。時代を反映して中学や高校のチームからは「AKB48 ♫ヘビーローテンション」などの楽曲も聴かれ、踵でリズムをとりながら楽しむことができた。
今年は時間の関係で夕方からのアフターコンサートに行けなかったので来年は是非夕方を中心に動き回ろうと、今から楽しみにしている。
全ての写真をご覧になりたい方は下のurlで検索してください。
旭川地区吹奏楽連盟:http://www.hat.hi-ho.ne.jp/asa-suiren/
写真:http://www.ric.hi-ho.ne.jp/asahikawa-suiren/photo12/parade/opening.htm
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金環日食・北海道では18年後とか
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2012-05-22
2012/05/21/08:17:252012/05/21/08:19:19今世紀最大と言われている、宇宙の壮大なドラマ「金環日食」は、心配していた天気もまずまずで、日本各地で歓声が上がっていた。北海道ではテレビのライブでしか楽しめなかったけれど、日食は確認できた。専用のメガネがないので、直接日食を観ることは適わなかったのでテレビの情報を元に、牛乳パックに千枚通しで1ミリ程度の穴を開け、隣家の比較的白い壁を選んで、チャレンジしてみた。始めた時はもう欠け始めていたので、慌ててカメラで撮影。たった2~3分の間にも変化を確認。ただ、写真を写す角度、カメラの位置などに少々のずれがある。気持ちの捉え方かもしれないけれど、映してみて確かに違いは間違いなく変化を感じ取ることができた。まあこんなものでしょう。北海道では18年後に金環日食が観られるとか。18年後…ううう~ですか。63+18=81と計算は単純でも、心は複雑。観られるものなら観たい気はする。生まれたとき与えられた自分の定命がどうなのか、知る由もなし。太陽が相手だけにお天道様に任せましょうか。
北の街
sinji
2012-05-22T13:03:10+09:00
2012/05/21/08:17:25
2012/05/21/08:19:19
今世紀最大と言われている、宇宙の壮大なドラマ「金環日食」は、心配していた天気もまずまずで、日本各地で歓声が上がっていた。北海道ではテレビのライブでしか楽しめなかったけれど、日食は確認できた。
専用のメガネがないので、直接日食を観ることは適わなかったのでテレビの情報を元に、牛乳パックに千枚通しで1ミリ程度の穴を開け、隣家の比較的白い壁を選んで、チャレンジしてみた。
始めた時はもう欠け始めていたので、慌ててカメラで撮影。たった2~3分の間にも変化を確認。ただ、写真を写す角度、カメラの位置などに少々のずれがある。気持ちの捉え方かもしれないけれど、映してみて確かに違いは間違いなく変化を感じ取ることができた。まあこんなものでしょう。
北海道では18年後に金環日食が観られるとか。18年後…ううう~ですか。63+18=81と計算は単純でも、心は複雑。観られるものなら観たい気はする。生まれたとき与えられた自分の定命がどうなのか、知る由もなし。太陽が相手だけにお天道様に任せましょうか。
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北海道・泊原子力発電は本当に必要なの?
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2012-05-20
東北大震災の後に起きた、津波が原因とされている福島原子力発電所の崩壊。その後の報道など見ていると、本当に津波だけが原因だったのか。地震による何かの損壊ではなかったのか、いまだ原因がはっきりしていない。 地震の怖いのは揺れだけでなく地殻変動のほうが怖いと聞くと不安でならない。そこで最近、北海道電力(以後・北電)の元社員、水島能裕(よしひろ)さんの話しを聞ける機会があったので参加させて貰った。 私など全く電気関係、ましてや原子力についてまったく無知な者には、レジメをもらって題目を見ただけで、いささか戸惑うばかり。そこで自分が関心を持った範囲で、その内容を少々。焦点にしたのは「本当に北海道の電力は足りないのか」に絞ってみることに。水島さんは具体的な数字をもって説明してくれた。 始めに、北海道の最大電力(発電端1日の最大値)を列記してみると以下になる。日時 最大電力(万単位) 時期 2011/01/12 578.8万kw 冬場の過去最高数値 2012/02/02 568.0万kw 今年の冬の最高数値 2006/08/09(pm2時) 507.4万kw 夏場の過去最大数値 (※・表1)北電の設備による出力は、742万kw。そのうち原子力の依存は207万kwと、全体の28%。電力量は原発が4割というが、しかしこれにはトリックがある。泊原発をフル活動(最大限)させ、石油専焼の伊達や知内火力発電所を休ませていたから多くみえるだけ。 まだ他にある北電以外の電力(北電に卸しているなど)を見てみることに。会社名 発電能力(万単位) 発電方式 パワーエンジニアリング 25万kw 石油火力 エコエナジー 6万kw 水力 電源開発(糠平湖、桂沢湖) 21.5万kw 水力 北海道企業局(士別・岩尾内湖) 7万kw 水力 風力 36万kw 太陽光 0.5万kw 合計96万kw(※・表2)もう一つ、独立発電事業者(IPP・北電へ卸している)と特定規模電気事業者(PPS・小売)を表にしてみることに。会社名 発電能力(万単位) 発電方式 関連日本製紙釧路発電所 8万kw 石炭 IPPJX日鉱日石エネルギー室蘭製油所 5万kw 残渣油 IPP新日鐵室蘭発電所 10万kw 副生ガス、石炭 IPP三菱電機2箇所 0.2万kw 石油 IPP出光興産 1.5万kw 石油 IPP王子製紙苫小牧火力発電所 26.8万kw 黒液等バイオマス&重油 PPS合計 5..
コラム
sinji
2012-05-20T08:42:22+09:00
東北大震災の後に起きた、津波が原因とされている福島原子力発電所の崩壊。その後の報道など見ていると、本当に津波だけが原因だったのか。地震による何かの損壊ではなかったのか、いまだ原因がはっきりしていない。
地震の怖いのは揺れだけでなく地殻変動のほうが怖いと聞くと不安でならない。そこで最近、北海道電力(以後・北電)の元社員、水島能裕(よしひろ)さんの話しを聞ける機会があったので参加させて貰った。
私など全く電気関係、ましてや原子力についてまったく無知な者には、レジメをもらって題目を見ただけで、いささか戸惑うばかり。そこで自分が関心を持った範囲で、その内容を少々。焦点にしたのは「本当に北海道の電力は足りないのか」に絞ってみることに。水島さんは具体的な数字をもって説明してくれた。
始めに、北海道の最大電力(発電端1日の最大値)を列記してみると以下になる。
日時 最大電力(万単位) 時期
2011/01/12 578.8万kw 冬場の過去最高数値
2012/02/02 568.0万kw 今年の冬の最高数値
2006/08/09(pm2時) 507.4万kw 夏場の過去最大数値
(※・表1)
北電の設備による出力は、742万kw。そのうち原子力の依存は207万kwと、全体の28%。電力量は原発が4割というが、しかしこれにはトリックがある。泊原発をフル活動(最大限)させ、石油専焼の伊達や知内火力発電所を休ませていたから多くみえるだけ。
まだ他にある北電以外の電力(北電に卸しているなど)を見てみることに。
会社名 発電能力(万単位) 発電方式
パワーエンジニアリング 25万kw 石油火力
エコエナジー 6万kw 水力
電源開発(糠平湖、桂沢湖) 21.5万kw 水力
北海道企業局(士別・岩尾内湖) 7万kw 水力
風力 36万kw
太陽光 0.5万kw 合計96万kw
(※・表2)
もう一つ、独立発電事業者(IPP・北電へ卸している)と特定規模電気事業者(PPS・小売)を表にしてみることに。
会社名 発電能力(万単位) 発電方式 関連
日本製紙釧路発電所 8万kw 石炭 IPP
JX日鉱日石エネルギー室蘭製油所 5万kw 残渣油 IPP
新日鐵室蘭発電所 10万kw 副生ガス、石炭 IPP
三菱電機2箇所 0.2万kw 石油 IPP
出光興産 1.5万kw 石油 IPP
王子製紙苫小牧火力発電所 26.8万kw 黒液等バイオマス&重油 PPS
合計 51.5万kw
(※・表3)
上記ように、表2・3を合わせると148万kwとなる。
北電の742万kwと表2・3の148万kwをたすと890万kwになる。例え北電が泊原子力発電所を休止させ続けたとしても、890万kw-(原発分)207万kw=683万kwの発電能力はある。
表1に於いて分かるように、北海道の電力消費MAXは冬場なのだ。原子力発電所がなくともその数値さえ104万kWカバーできている。風力、太陽光、流れ込み式水力の稼働率減を引いても637万kWある。まして冬場に電力消費MAXを迎えるのは北海道だけ。どうしても足りない時は本州から送電してもらえば、北海道での電力不足は乗り越えられる。
これから先、節電に努力し、ソーラー発電や地熱発電、風力発電、北海道ならではの畜産による糞尿を利用したバイオマス発電など、原発からシフト変えしていくことは大いに可能なのだ。
終わりに水島さんは、北電が今年2012年夏に電力が足りなくなると言っているのは、北海道第2の発電能力を持つ、苫東4号機(70万kw・石炭)を、5月20日から10月にかけて定期点検と大改修するのを前提にしているからで「なぜ2月末から7月初旬でなく真夏にするのか」と、首をかしげていた。そして、それでも北海道の電力は足りると。
以上、北電の元社員、水島能裕(よしひろ)さんの話しをもとに、北海道の電力事情を綴ってみた。参加しての私の結論は、「原発」なくても電力は足りるだった。原発ありきの誘導はもう通用しない。それと、現在の北海道知事高橋はるみ氏は、経済産業省出身であることを心に留めておきたい。
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北の街旭川:満開に咲いた桜はもう散った
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2012-05-09
今年は春の気候のまま夏に入り「冷夏ではないか」と言う人が多かった。自然のままに生きている桜さえ、さぞや驚いただろう。平年より3日早い5月3日の「開花宣言」、そしてすぐの「満開」だった。テレビのニュースでは、50年の観測史上初めてと騒ぎ立てている。満開の桜の下にいると、無理やり咲かせられたという空気がただよっていた。その桜も3日しかもたなかった。すぐに風に吹かれ散り、レンガ造りの歩道を彩っている。それも由か。旭が射していてもビルの陰に曇る歩道のほうが、散った桜の花びらは色濃く見えていた。昨年は桜が散るとすぐ“夏”のような気候だったが、今年は少し違って“春”の陽気をもう少し楽しめそうだ。このごろの気候の変化にはなかなか馴染めないでいる。普通の生活のなかで、過去の経験、慣習、例えなどは、もう通用しない世界を迎えざるおう得なくなったのだろうか。それともこれこそが自然というものなのだろうか。作家の瀬戸内寂聴さんは、テレビ番組に出演したときや著書のなかで“世は無常”とよく言っているが、最近その言葉がやけに身にしみる。当たり前だけれど、毎年花びらが散った後には素晴らしい青葉が桜の樹を彩る。その青葉を観にくる人も多く、心を和ませてくれているようだ。その時期にはもう一度この桜の樹の下で大きな深呼吸をしてみよう。早春の蕾から晩秋の落ち葉まで、桜という樹は実にありがたく癒しの空間を演出してくれている。
北の街
sinji
2012-05-09T09:16:59+09:00
今年は春の気候のまま夏に入り「冷夏ではないか」と言う人が多かった。自然のままに生きている桜さえ、さぞや驚いただろう。平年より3日早い5月3日の「開花宣言」、そしてすぐの「満開」だった。テレビのニュースでは、50年の観測史上初めてと騒ぎ立てている。満開の桜の下にいると、無理やり咲かせられたという空気がただよっていた。
その桜も3日しかもたなかった。すぐに風に吹かれ散り、レンガ造りの歩道を彩っている。それも由か。旭が射していてもビルの陰に曇る歩道のほうが、散った桜の花びらは色濃く見えていた。昨年は桜が散るとすぐ“夏”のような気候だったが、今年は少し違って“春”の陽気をもう少し楽しめそうだ。
このごろの気候の変化にはなかなか馴染めないでいる。普通の生活のなかで、過去の経験、慣習、例えなどは、もう通用しない世界を迎えざるおう得なくなったのだろうか。それともこれこそが自然というものなのだろうか。作家の瀬戸内寂聴さんは、テレビ番組に出演したときや著書のなかで“世は無常”とよく言っているが、最近その言葉がやけに身にしみる。
当たり前だけれど、毎年花びらが散った後には素晴らしい青葉が桜の樹を彩る。その青葉を観にくる人も多く、心を和ませてくれているようだ。その時期にはもう一度この桜の樹の下で大きな深呼吸をしてみよう。早春の蕾から晩秋の落ち葉まで、桜という樹は実にありがたく癒しの空間を演出してくれている。
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マイカーの色は、なに色がお好きですか
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2012-03-19
生まれて始めてマイカーを持ったのが、中古の家を購入したときでした。東京都内から総武線に乗り、江戸川を越えてすぐの駅が市川市。移動手段はバスしかなかったので、軽自動車の購入を考えました。家を探すとき、市川市内のどこに中古車屋さんがあるのか分かっていたので、早速出向きました。そこにはモールで飾られたアーチの中に、黄色が綺麗で鮮やかな軽自動車が展示されています。そこの前にじっと佇んでいたところ、中古車店の店主が出てきて「これいいでしょ」と進めてきました。事務所に案内され「いま迄の統計で事故が最も少ないのは何色かご存知ですか」と問いかけてきました。「意外と白のような気がしますけれど」と答えると「そうです、ただ日本では白が最も多く販売されているので、パーセンテージから考えると、黄色なんですよ」との答えです。もう決まりです。魔法にかかったようにその車を購入しました。走り心地もよく納得の買物でした。しかし職場と家との通勤に不便を感じ、購入した中古の家は貸家とし、やむなくその車も手放さなくてはならなくなり、買い求めた中古車店に買い取って貰いました。今でも忘れられない苦い思い出です。そのとき感じたのは、ディラーとユーザーの信頼関係でした。親切な店主にあえたので、車を手放すことは苦い思い出ですが、すてきなディラーに会えた喜びも思い出の中に、今でも同居しています。上の記事は、ある「SO-HO」の会社に登録し、web構成の依頼があったので、私はこの程度しか書けませんとメールで送りました。が、連絡が途切れそのままです。応用力を持たない初老には、「SO-HO」の仕事は無理なようです。初心に帰れと言われたようです。
日記
sinji
2012-03-19T16:57:27+09:00
家を探すとき、市川市内のどこに中古車屋さんがあるのか分かっていたので、早速出向きました。そこにはモールで飾られたアーチの中に、黄色が綺麗で鮮やかな軽自動車が展示されています。
そこの前にじっと佇んでいたところ、中古車店の店主が出てきて「これいいでしょ」と進めてきました。事務所に案内され「いま迄の統計で事故が最も少ないのは何色かご存知ですか」と問いかけてきました。「意外と白のような気がしますけれど」と答えると「そうです、ただ日本では白が最も多く販売されているので、パーセンテージから考えると、黄色なんですよ」との答えです。
もう決まりです。魔法にかかったようにその車を購入しました。走り心地もよく納得の買物でした。しかし職場と家との通勤に不便を感じ、購入した中古の家は貸家とし、やむなくその車も手放さなくてはならなくなり、買い求めた中古車店に買い取って貰いました。今でも忘れられない苦い思い出です。
そのとき感じたのは、ディラーとユーザーの信頼関係でした。親切な店主にあえたので、車を手放すことは苦い思い出ですが、すてきなディラーに会えた喜びも思い出の中に、今でも同居しています。
上の記事は、ある「SO-HO」の会社に登録し、web構成の依頼があったので、私はこの程度しか書けませんとメールで送りました。が、連絡が途切れそのままです。応用力を持たない初老には、「SO-HO」の仕事は無理なようです。初心に帰れと言われたようです。
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電力料金値上げの権利ってなに
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2012-02-15
最近おかしな言葉を耳にした。先日行なわれた東京電力西沢俊夫社長の「値上げは権利というか、義務でもある」と発言した記者会見報道なのだ。「値上げの権利」というのは法的には間違っていないというけど、殆ど人災とも思える大きな事故を起こした張本人が、ここ迄「白を切る」ようなこと言うかと、自分の耳を疑ってしまった。そういえば、この国の総理大臣様も、「マニフェスト」を掲げ「今大切なことはこれなんです」と言って戦った総選挙で大勝したのに、知らんふりを決め込み「書いていないことも、やらなければならないことは断行する」などと支離滅裂な発言をしている。問題の「消費税」のパーセンテージだって初めと今では大きく違った数字になってきているし、使い道も東北震災にあてがうと言っていたのに。景気浮揚だの謝金の穴埋めだのコロコロ変わっている。こんな人たちに期待した自分を恥じても遅いかなあ。どんなことがあっても、与野党の都合のいいような、消費税を通してからの「しゃんしゃん解散」だけは避けさせなきゃ。国政が見ての通りなら、日本を代表する大企業、それも日本の首都圏を一手に担っている電力会社の社長が、平然と白を切るのも押して導しか。メディアも「CM料」というお化けに牛耳られている現状では、何に期待していいものか。それにしても、年金に詳しい学者さんがテレビに出てきて「もうだめ、すでに限界、消費税も今の値上げの数値では駄目…」ってなんなの。みんな、どうしちゃったの。原発事故の責任しかり、マニフェスト選挙裏切りの責任しかり、責任を明確にした後でことを進めてほしいね。
日記
sinji
2012-02-15T10:40:27+09:00
そういえば、この国の総理大臣様も、「マニフェスト」を掲げ「今大切なことはこれなんです」と言って戦った総選挙で大勝したのに、知らんふりを決め込み「書いていないことも、やらなければならないことは断行する」などと支離滅裂な発言をしている。
問題の「消費税」のパーセンテージだって初めと今では大きく違った数字になってきているし、使い道も東北震災にあてがうと言っていたのに。景気浮揚だの謝金の穴埋めだのコロコロ変わっている。こんな人たちに期待した自分を恥じても遅いかなあ。どんなことがあっても、与野党の都合のいいような、消費税を通してからの「しゃんしゃん解散」だけは避けさせなきゃ。
国政が見ての通りなら、日本を代表する大企業、それも日本の首都圏を一手に担っている電力会社の社長が、平然と白を切るのも押して導しか。メディアも「CM料」というお化けに牛耳られている現状では、何に期待していいものか。
それにしても、年金に詳しい学者さんがテレビに出てきて「もうだめ、すでに限界、消費税も今の値上げの数値では駄目…」ってなんなの。みんな、どうしちゃったの。原発事故の責任しかり、マニフェスト選挙裏切りの責任しかり、責任を明確にした後でことを進めてほしいね。
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ダルビッシュ・有のメジャーリーグ挑戦 「道民は応援している」
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2012-01-24
やっと決まったかという思いが先に来る。いま迄米国に渡った野球選手のなかで、最もメジャーリーグにふさわしい選手かもしれない。ダルならきっとやってくれる。それにしても、テレビのスポーツ関連の番組を見ていて、メジャーリーグに挑戦する選手に対し好意的な話は少なく、どちらかというと否定するプロ野球OBが目立つのはどうしてだろう。日曜日の朝に放送されるTBS「サンデーモーニング」では、よく「喝&アッパレ」が飛び交っていて見ていて面白い。でも独りよがりとしか思えない発言がしばしば飛び出る。張本勲氏の発言はそのものだ。大リーグ挑戦イコール「金でしょう」「日本のプロ野球を見捨てた」等の見解を出し片付けてしまうことが殆ど。中にはそれらしき選手はいるのは分かるけど、殆どは自分の夢への挑戦ではないのだろうか。それを自分の考えだけで一刀両断に切り捨ててしまっていいのか。野球少年が大きな夢を持つ。実力を試したい気持ちが湧き上がる。ごく普通のことで廻りは応援してあげ、適わなかった時いつでも戻って来いと、挑戦を支えてあげてこそ野球ファンなのではないのか。しかし、張本氏のような考えを持つことを全面否定するつもりはない。そう考える人も野球ファンの一人なのだろう。もしかすると、そういう心の背景に地域性があるかもしれない。道民が、1万人以上も札幌ドームに集まって、ダルの記者会見を見に行くことは、子どもの頃から都会に住む人(特に内地に住む人)にはわからない感覚なのだろうことは想像できる。北海道の若者は、道内になかなか仕事が見つからない。しかたなく都会へ家族は送り出す。もう40年も前になるけど私もそうだった。都会に行かないと仕事がない。でもこうして帰ってくると温かく迎えてくれる。だからダルビッシュのように、北海道日本ハムに入団し、育ち、日本のエースに成長し、次は米国へ渡ってメジャーに挑戦する姿には何も違和感を感じないどころか、ガンバレの気持ちでいっぱい。それが道民の心底からの言葉なのだ。さあ今年はスポーツ満載の年になりそうだ。オリンピックやサッカーもそうだが、何よりダルビッシュの勇姿を見るのは楽しみ。ぎりぎり間に合ったか、元気な「マリナーズ・イチロー」選手との対戦を見られるのは今からわくわくする。
スポーツ
sinji
2012-01-24T22:37:39+09:00
それにしても、テレビのスポーツ関連の番組を見ていて、メジャーリーグに挑戦する選手に対し好意的な話は少なく、どちらかというと否定するプロ野球OBが目立つのはどうしてだろう。
日曜日の朝に放送されるTBS「サンデーモーニング」では、よく「喝&アッパレ」が飛び交っていて見ていて面白い。でも独りよがりとしか思えない発言がしばしば飛び出る。張本勲氏の発言はそのものだ。大リーグ挑戦イコール「金でしょう」「日本のプロ野球を見捨てた」等の見解を出し片付けてしまうことが殆ど。
中にはそれらしき選手はいるのは分かるけど、殆どは自分の夢への挑戦ではないのだろうか。それを自分の考えだけで一刀両断に切り捨ててしまっていいのか。野球少年が大きな夢を持つ。実力を試したい気持ちが湧き上がる。ごく普通のことで廻りは応援してあげ、適わなかった時いつでも戻って来いと、挑戦を支えてあげてこそ野球ファンなのではないのか。
しかし、張本氏のような考えを持つことを全面否定するつもりはない。そう考える人も野球ファンの一人なのだろう。もしかすると、そういう心の背景に地域性があるかもしれない。道民が、1万人以上も札幌ドームに集まって、ダルの記者会見を見に行くことは、子どもの頃から都会に住む人(特に内地に住む人)にはわからない感覚なのだろうことは想像できる。
北海道の若者は、道内になかなか仕事が見つからない。しかたなく都会へ家族は送り出す。もう40年も前になるけど私もそうだった。都会に行かないと仕事がない。でもこうして帰ってくると温かく迎えてくれる。
だからダルビッシュのように、北海道日本ハムに入団し、育ち、日本のエースに成長し、次は米国へ渡ってメジャーに挑戦する姿には何も違和感を感じないどころか、ガンバレの気持ちでいっぱい。それが道民の心底からの言葉なのだ。
さあ今年はスポーツ満載の年になりそうだ。オリンピックやサッカーもそうだが、何よりダルビッシュの勇姿を見るのは楽しみ。ぎりぎり間に合ったか、元気な「マリナーズ・イチロー」選手との対戦を見られるのは今からわくわくする。
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旭川は氷点下20度・猫のカカもさすがに
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2012-01-20
旭川に戻って11回目の「大寒」の時期を過ごしているけど、この冬、水道の水を落とした回数の多さは、今までにありません。ここのところ毎晩水道の元栓を閉めてから床に就いています。今朝も氷点下20度を下回っていました。若いころといっても、もう半世紀過ぎたので50年前ですか。その頃だとごく普通のことだったけれど、今では気候変動による温暖化というべきなのか、僕の感覚では10度前後差がある。当時と比べると、近年間違いなく暖かくなっていました。それがこの冬、地球は思い出したように寒さをぶり返している。用は地球を含め僕らの身の回りは「無常」、常ならずということでしょうか。「災いは続くよ」とよく先輩諸氏に言われて来ました。昨年の「3・11」の大災害は決して忘れてはいけないことですが、その事によって、我々は何かを感じ、思い起こさなければならない、そういう時期を迎えているかも知れないなと、つくづく思っています。特に最近の政治家の無能、無責任さは目に余るものがあります。大事故を発生させた加害者を庇ってばかりとしか思えない発言が続いています。被害者は何処へ行ったのか。彼ら政治を司り、議員バッチを胸に輝かしている人たちは、政治家という原点に戻ることを強く望みます。写真の猫のカカは、何を考えているのでしょうか。こんなにストーブに近づいているのは初めてです。これ程寒さが続くのも初めての体験でしょう。身も心もゆるまでは、もう少し時間がかかりそうです。
北の街
sinji
2012-01-20T21:15:13+09:00
若いころといっても、もう半世紀過ぎたので50年前ですか。その頃だとごく普通のことだったけれど、今では気候変動による温暖化というべきなのか、僕の感覚では10度前後差がある。当時と比べると、近年間違いなく暖かくなっていました。
それがこの冬、地球は思い出したように寒さをぶり返している。用は地球を含め僕らの身の回りは「無常」、常ならずということでしょうか。「災いは続くよ」とよく先輩諸氏に言われて来ました。昨年の「3・11」の大災害は決して忘れてはいけないことですが、その事によって、我々は何かを感じ、思い起こさなければならない、そういう時期を迎えているかも知れないなと、つくづく思っています。
特に最近の政治家の無能、無責任さは目に余るものがあります。大事故を発生させた加害者を庇ってばかりとしか思えない発言が続いています。被害者は何処へ行ったのか。彼ら政治を司り、議員バッチを胸に輝かしている人たちは、政治家という原点に戻ることを強く望みます。
写真の猫のカカは、何を考えているのでしょうか。こんなにストーブに近づいているのは初めてです。これ程寒さが続くのも初めての体験でしょう。身も心もゆるまでは、もう少し時間がかかりそうです。
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北海道の“テレビ”は変わろうとしているのだろうか
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2011-12-15
フジテレビで活躍していたフリーアナウサーの大村正樹さんが「UHBテレビ」に来て半年を過ぎました。やっと板に付いてきたのかな、という感じを最近抱きます。始めはやたら肩に力が入っていたようで「うむ。。。うむ。。。」のフレーズが多く見受けられました。そうとうの覚悟で来られたのだから、何につけ力が入るのは分かる気がします。既存の夕方放送の番組内容と違って、毎朝見ている情報番組より、かなり鋭い指摘があったりし、「へ~…情報番組のMCの中にもフリーランス的な人もいるんだ」と、感心しながら見ていました。今もそうです。番組編成で、出身母体といっていいのか、フジテレビを降板した(実質させられた?) フリーランスの上杉隆さんを、その週の初めである月曜日に当てるなど、そうとうの覚悟で取り組んでいることが伺えます。大村さんは北海道へ来る前にいろいろあったようですが、都会から遠く離れ、ゆっくり考える時間を持つことも大切では。でも上杉さんには「もっと切り込めるだろう」と、思いつつ見ています(何処かにそれを止める人がいるのでしょうか…そういう気がします)。見ているほうは、言いたい放題ですが。“メディア”とりわけテレビは大きな力を持っています。いま「大阪」が大きく取り上げられています。日本は変わるぞ、と。本来なら北海道こそ、その担い手の筆頭になる地域だったと思っていたのに。やはり官僚出身知事では改革は無理だったのでしょう。「泊原子力発電所」の対応一つ見るだけで、もうがっかりです。しかし、だからといって「大阪橋本改革」の全てを賛成できないでいます。テレビ&新聞しか情報ないけれど。“きっかけ”の大切さを感じます。変わろうとする北海道と大阪。メディアという間接と大阪のような直接。どちらにせよ、何かを変えよう、変わろうとしているのは事実なのでしょう。テレビメディアにおいて、大村さんのような大胆さは初めの一歩かもしれません。大切な1票の重さを感じながら大きな目を開けっ放し…それは無理か。それにしても、日本列島は南北に長いですね。夕方のお天気コーナーで「今年の暮れは寒いですよね」と言っていると、そのすぐ後に映像が変わり東京から。神宮外苑の銀杏並木では落ち葉の上を歩く家族ずれ。東京四谷3丁目界隈に長年住んでいたけど、「12月に落ち葉散策?」。僕の記憶にありません。12月ですよね。日本は、何から何まで変わってしまうのでしょうか。瀬戸内寂聴先生はいつも言っている..
日記
sinji
2011-12-15T22:00:28+09:00
既存の夕方放送の番組内容と違って、毎朝見ている情報番組より、かなり鋭い指摘があったりし、「へ~…情報番組のMCの中にもフリーランス的な人もいるんだ」と、感心しながら見ていました。今もそうです。
番組編成で、出身母体といっていいのか、フジテレビを降板した(実質させられた?) フリーランスの上杉隆さんを、その週の初めである月曜日に当てるなど、そうとうの覚悟で取り組んでいることが伺えます。大村さんは北海道へ来る前にいろいろあったようですが、都会から遠く離れ、ゆっくり考える時間を持つことも大切では。
でも上杉さんには「もっと切り込めるだろう」と、思いつつ見ています(何処かにそれを止める人がいるのでしょうか…そういう気がします)。見ているほうは、言いたい放題ですが。
“メディア”とりわけテレビは大きな力を持っています。いま「大阪」が大きく取り上げられています。日本は変わるぞ、と。本来なら北海道こそ、その担い手の筆頭になる地域だったと思っていたのに。やはり官僚出身知事では改革は無理だったのでしょう。「泊原子力発電所」の対応一つ見るだけで、もうがっかりです。しかし、だからといって「大阪橋本改革」の全てを賛成できないでいます。テレビ&新聞しか情報ないけれど。
“きっかけ”の大切さを感じます。変わろうとする北海道と大阪。メディアという間接と大阪のような直接。どちらにせよ、何かを変えよう、変わろうとしているのは事実なのでしょう。テレビメディアにおいて、大村さんのような大胆さは初めの一歩かもしれません。大切な1票の重さを感じながら大きな目を開けっ放し…それは無理か。
それにしても、日本列島は南北に長いですね。夕方のお天気コーナーで「今年の暮れは寒いですよね」と言っていると、そのすぐ後に映像が変わり東京から。神宮外苑の銀杏並木では落ち葉の上を歩く家族ずれ。東京四谷3丁目界隈に長年住んでいたけど、「12月に落ち葉散策?」。僕の記憶にありません。12月ですよね。
日本は、何から何まで変わってしまうのでしょうか。瀬戸内寂聴先生はいつも言っているね、世は「無常」って。
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北海道コンサドーレ“J1昇格”おめでとう
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2011-12-06
長かったですね、4年ぶりですか。以前J1で活躍できたのは、一度目は岡田監督で、二度目は三浦俊也監督でした。今回の石崎監督で三度目のJ1昇格。札幌ドームを満員にしての昇格圏3位を掛けたゲームは、見ごたえ十分でした。やはり先制点が課題だったのですね。1点入った後の試合はコンサドーレの優位で運べたのが何よりでした。北海道コンサドーレそしてサポーターの皆さんおめでとう御座います。最大の功労者、僕は「石崎監督では・・・」と見ています。日刊スポーツ紙12月4日の1面に掲載れている記事を読んでいると、子供たちの学校の関係があって、2年間単身赴任で生活を凌ぎ、昨年からやっと奥さんと暮らせるようになったとか。今では監督も奥さんも「北海道に永住してもいいくらい」と言っているようです。それが嬉しいですし、その気持ちが優勝に導いてくれたのではないかと。また、補強の大切さも知らされました。そのせいで得点力は上がり、今までのお友達ゲームから脱却したのは、補強選手の力が大きかったのではと感じています。なお更、来年からのJ1での戦いは、極力このメンバーに、もう一つ強力補強をし、選手間で切磋琢磨しながら戦ってほしい気持ちでいっぱいです。ただ前回2回J1昇格のあとのJ2降格時にあったことでの心配もあります。なかでも、岡田監督時には少々複雑な気持ちを持っています。岡田監督は優勝するために、子飼いの選手を連れて来てくれたのはいいのですが、目的が達成し退任するとき、その選手たちもそっくり引き払ってしまったように見えたからです。僕の見当違いかも知れませんが。まるで今まで何もなかったような状況を平気で迎えられる、モチベーションといおうか、その気持ちそのものが分かりません。札幌から去った方々の心から、サポーター(の気持ち)は何処へ行ってしまったのでしょう。サッカーは、今では野球を凌ぎ、大きな夢を与えてくれるまで成長したスポーツなのでは。「それが現代スポーツだよ」と言われてしまえば「はい、そうですか」としか、言い返せないのが辛いですね。もうあのJ2降格の淋しさは味わいたくないですので。それにしても最終戦、札幌ドーム超満員の、あのサポーターの皆さんには驚きと感謝です。来期は必ずJ1定着を願っています。
スポーツ
sinji
2011-12-06T14:07:54+09:00
北海道コンサドーレそしてサポーターの皆さんおめでとう御座います。
最大の功労者、僕は「石崎監督では・・・」と見ています。日刊スポーツ紙12月4日の1面に掲載れている記事を読んでいると、子供たちの学校の関係があって、2年間単身赴任で生活を凌ぎ、昨年からやっと奥さんと暮らせるようになったとか。今では監督も奥さんも「北海道に永住してもいいくらい」と言っているようです。それが嬉しいですし、その気持ちが優勝に導いてくれたのではないかと。
また、補強の大切さも知らされました。そのせいで得点力は上がり、今までのお友達ゲームから脱却したのは、補強選手の力が大きかったのではと感じています。なお更、来年からのJ1での戦いは、極力このメンバーに、もう一つ強力補強をし、選手間で切磋琢磨しながら戦ってほしい気持ちでいっぱいです。
ただ前回2回J1昇格のあとのJ2降格時にあったことでの心配もあります。なかでも、岡田監督時には少々複雑な気持ちを持っています。岡田監督は優勝するために、子飼いの選手を連れて来てくれたのはいいのですが、目的が達成し退任するとき、その選手たちもそっくり引き払ってしまったように見えたからです。僕の見当違いかも知れませんが。
まるで今まで何もなかったような状況を平気で迎えられる、モチベーションといおうか、その気持ちそのものが分かりません。札幌から去った方々の心から、サポーター(の気持ち)は何処へ行ってしまったのでしょう。
サッカーは、今では野球を凌ぎ、大きな夢を与えてくれるまで成長したスポーツなのでは。「それが現代スポーツだよ」と言われてしまえば「はい、そうですか」としか、言い返せないのが辛いですね。もうあのJ2降格の淋しさは味わいたくないですので。
それにしても最終戦、札幌ドーム超満員の、あのサポーターの皆さんには驚きと感謝です。来期は必ずJ1定着を願っています。
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「Blog」へのこだわりが生きがいかも
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2011-12-04
久しぶりというか、やっと「Blog」を 書けるようになった。1年近いブランクは、書きたい気持ちを削いでしまっていたのだと、つくづく実感する。ただ気づいたこともある。「インターネット新聞janjan」に市民記者として投稿しているうちに、どうも「Blog」に対しての、勘違いを生んでしまっていたようだ。むずかしいことを、フリーランスの真似をし、思うままに書き続け、本来の自分というものを失い、わざわざ書くことのハードルを高くしてしまっていた。そこに気づいたから何もできなくなってしまった。でも昔から「時は薬」と言っていた。学ぶこともあったようにも思う。その間も、新聞の切り取りや、気づいたことに対してのメモは欠かさないでいた。気持ちのどこかに「そのうちまた書くようになる」という思いは失わないでいられたのが救いかもしれない。また、長い間成し遂げたことが、そこに行き着くと、何かふわっとした達成感が自分を支配してしまったのだろうか。自身のホームページを作りたい、その思いでそうとうの時間図書館に通い、やっと下手の横好きと言われようと出来上げた。また、ここでももう一つの達成感を生んでしまっていた。早い話疲れただけだったかも知れない。そのほうが分かりやすい。やっぱり若人の真似は出来ない。政治のことは元よりだけど、いま旭川市が何かと騒がしいというか、少し面白くなってきたので、62歳のペースを守りながら続けていけるといいなと。また、いまだ現在進行中の「パニック障害」のことも、いろいろ分かってきたので(但し、あくまでも自分に限って)、そのことも準備しています。
日記
sinji
2011-12-04T20:42:40+09:00
1年近いブランクは、書きたい気持ちを削いでしまっていたのだと、つくづく実感する。ただ気づいたこともある。「インターネット新聞janjan」に市民記者として投稿しているうちに、どうも「Blog」に対しての、勘違いを生んでしまっていたようだ。
むずかしいことを、フリーランスの真似をし、思うままに書き続け、本来の自分というものを失い、わざわざ書くことのハードルを高くしてしまっていた。そこに気づいたから何もできなくなってしまった。でも昔から「時は薬」と言っていた。学ぶこともあったようにも思う。
その間も、新聞の切り取りや、気づいたことに対してのメモは欠かさないでいた。気持ちのどこかに「そのうちまた書くようになる」という思いは失わないでいられたのが救いかもしれない。また、長い間成し遂げたことが、そこに行き着くと、何かふわっとした達成感が自分を支配してしまったのだろうか。
自身のホームページを作りたい、その思いでそうとうの時間図書館に通い、やっと下手の横好きと言われようと出来上げた。また、ここでももう一つの達成感を生んでしまっていた。早い話疲れただけだったかも知れない。そのほうが分かりやすい。やっぱり若人の真似は出来ない。
政治のことは元よりだけど、いま旭川市が何かと騒がしいというか、少し面白くなってきたので、62歳のペースを守りながら続けていけるといいなと。また、いまだ現在進行中の「パニック障害」のことも、いろいろ分かってきたので(但し、あくまでも自分に限って)、そのことも準備しています。
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旭川にもやっと春がやって来た
https://55-marku.blog.ss-blog.jp/2011-04-15
このところやっと天気情報の最低気温の所から、氷点下の「―記号」が消え始めた。ハイテンション気分を抑えきれずにデジカメをもって出かけようと表に出ると、すぐ目の前にクロッカスが咲いていた。これはこの2~3年咲き始めた。種がどこからか飛んできたのだろうか。もう少し足を伸ばして近くの公園に行ってみると、雪が解けて2,3日しか過ぎていないのに、もう早ふきのとうが大きく蕾を広げていた。北海道の春はあっという間にやってくる。街の中心街では、これから目白押しにいろんなイベントを計画しているようだ。自粛ムードも少しずつ解かれ始めたので良かったと思う。もう普通の生活スタイルに戻すべきではないだろうか。その方が被災者の人たちにも勇気づけられると思う。
北の街
sinji
2011-04-15T11:32:54+09:00
ハイテンション気分を抑えきれずにデジカメをもって出かけようと表に出ると、すぐ目の前にクロッカスが咲いていた。これはこの2~3年咲き始めた。種がどこからか飛んできたのだろうか。
もう少し足を伸ばして近くの公園に行ってみると、雪が解けて2,3日しか過ぎていないのに、もう早ふきのとうが大きく蕾を広げていた。北海道の春はあっという間にやってくる。街の中心街では、これから目白押しにいろんなイベントを計画しているようだ。
自粛ムードも少しずつ解かれ始めたので良かったと思う。もう普通の生活スタイルに戻すべきではないだろうか。その方が被災者の人たちにも勇気づけられると思う。
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