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パニック障害:鬱症と自然と鳥と [パニック障害]

「パニック障害」という病気の裏側には、何らかの形で「鬱」が潜んでいるということは、皆さんだいたい分かっていることだと思います。けれど私自身がこれほど「鬱症」を抱えているとは思っていませんでした。それが最近強く感じるようになりました。


では何故、今頃になって強く感じるようになったのか、今までどうしていたのかと振り返ってみると「若さで乗り切っていた」だけではないかという結論に達しました。いろんな障害物を跳ね除けてきたのには、若いエネルギーが助けになっていたように思います。

その障害物的なものを一つの「ストレス」とします。それを跳ね除けるのは、外へ出て何らかの発散をすることで障害を乗り越えていたようです。無理やりでも同僚などに誘われ、「カラオケスナック」で歌ったりしていました。その店に辿り着くまでは、どうしようもない不安に襲われていましたが、いざ店内に入り椅子に座ってビールの一杯でも口にすると、不思議と落ち着いたものでした。

今のは一つの例ですが、歳をとるとそういった若いころにできたようなことで発散できなくなっています。ましてや、こういう雪国のなかの小都市だと、ほとんどの活動に制約がでてきます。たとえ車を持っていたとしても、行く場所はそうありません。私は車を持っていませんので、行動の全てはバス移動です。そこにも行動の制約が存在してしまいます。「出るに出られない辛さ」みたいなものが、心を痛めるときがあります。

ある日、ふと窓の外を眺めていました。一時期「鳥インフルエンザ」が問題になり、窓の外の「おんこの木」に毎朝うるさいほど鳴いていた「スズメ」が一羽も来なくなりました。当時は、テレビのニュースにさえなっていました。この頃やっと騒がしさが戻り始め、一歳にもならない同居者“にゃんころ”めは、鳴き声に誘われ、勢いよく表に飛び出していきます。

見ているとスズメは、毎朝決まってどこからか飛んで来て「おんこの木」に止まり、虫をあさり、トタン屋根の上でじゃれあいながら、あきもせず踊りまくっています。これぞ自然のまま「あるがまま」の行き方ではないのか。それを見ていると、自分は何故考えることで「塞ぎ込んでしまうのだろう」と、思います。

ということは、人間という生き物は「考えること」で、自然に逆らっていることにもなります。おそらくスズメは、いま生きているだけで、未来も過去も考えない。毎日同じ時間に同じことをしている。人間は、同じ自然界で生きているほかの生物と比較してみると「考え過ぎる」という厄介な物を内存して生れてきてしまっているのでしょうか。

人間は考えるという行動で自らを追い詰めているわけですか。でも、今さら人間が、スズメのように自然に生きるといっても、この社会の中で「何をどうする・・・」。でも「パニック障害」の要因の一つである「鬱症」を、少しでも和らげるのには「考え過ぎてしまうこと」を減らすことでしょうか。それぐらいできるのでは・・・・・・




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