落日の向こう側 [コラム]
いつも夕方になると西のほうに目が行く。北海道、とくに旭川に戻ってつくづく思うのは空気に淀みが少ないことだ。晴れた日の夕日の綺麗な様は、東京に住んでいた頃には目にしていないような気がする。
気がするというのは、地上から車道の延長線上に夕日を見ようとしても、聳え立つビルに遮られてしまい、しっかり見た覚えがないからだ。その上、都会の夕日は、綺麗だなと思わせるよりも暑さが勝ってしまうから、その気も起きないのだろう。
この何年か夏至の(6月21日)前後、なぜか旭川は曇りがちだった。今年もそうでこの写真もやっと24日のなって撮ることができた。天気予報で晴れのマークが出ていても、西の空は曇りがちが多かった。それにしてもこの日の夕日の力は強く、心の底まで焼き尽くさんばかりに燃えている。
でも夕日にその力があるのなら、燃え尽くしてほしいものがある。東京永田町を自分の利益のために奔走する政治屋と、我々の声を聴こうとせずに霞ヶ関界隈を「自分をいかに高く売ろうか」としか考えずに歩き回る官僚の、癌化し腐った欲だけの根性の塊だ。
その都会を挟んで向こうでは、大雨で甚大な被害とニュースでは伝えている。手前の東北地方ではいまだに復旧が叶わず落ちついた日々を送れないでいる。政治屋と官僚たちは、地元選挙区と大飯原発所にしか目が向いていない。夕日に願いを懸けるしかないのが虚しい。
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